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著者紹介
1928年2月1日生
1940年四谷第二尋常小卒
1945年都立豊多摩中卒
1949年学習院高等科卒
1952年東京大学農学部卒
同年朝日新聞社入社、編集委員を経て1988年定年退社。
在社中の大半が演劇担当、主として劇評を手がけたが、退社後劇作を志し、日本劇作家協会に参加、監事を務めた。
現在は同協会会員、都民劇場評議員など。
著者あとがき抜粋
新聞記者として、長らく事実に即した原稿ばかりを書いてきた私には、空想の世界を自由に羽ばたける書き物に、いつごろからか少しずつあこがれが募り、それが定年後の楽しみにまで育っていました。
モチーフが二つありました。一つは戦争であり、もう一つは老後の生きかたです。……中略……
私は「戦争とは、最も罪のない弱い庶民に、最も犠牲を払わせるものだ」という冷厳な事実を体得しました。「このことを記録しておかなければ」との願いをこめて書いたのが「聖なる娼婦」です。さいわい演劇雑誌『悲劇喜劇』(1993年10月号)に掲載され、時の評者から高い評価をいただきました。改めてここに感謝いたします。
もう一つの「矩を踰えず」は、楽しく歳を取れる考え方はないものかを出発点としています。まだ見つけたわけではありませんが、これまでの思考経過を一応まとめたものです。
この作品は、少々エッチなことが書いてあります。……中略……「70代前半ならこの程度が楽しみの限界かな」というかるい気持ちで書き込んだのですが、家内はそういうふうには読んでくれません。「こんなこと書かれたら私が実験台に使われたとみんな思うに決まってる」「絶対に載せないで」と強硬に主張するに違いありません。この思いこみにはいかなる釈明も歯が立ちません。……中略……だから彼女のために証言しておくと、エッチな部分は雑誌などから得た空想上の産物です。主人公の昌平という名は、私の兄の名です。1928年、私が生まれた半年後、結核で亡くなりました。8歳でした。……中略……これを書きながら私は「昌ちゃんの分まで大切に生きなければいけないな」と考えるようになりました。大切に生きるとは、では、どういう生き方なのか。省みて忸怩たらざるを得ないのですが、……中略……
さて、この二作品を通読してみると、いずれも「愛」を主題としていることに改めて気付きました。そして私にとっての「愛」とは、相手をより深く理解しようとする継続的努力によって培われるもののようでもあります。
私と亡き妻康子とは、この関係において相互の努力が欠けていたと告白せざるを得ません。といって、それを悔やむとか、相手を責めるとかいう気持ちは、今の私には全く縁遠いものです。……中略……もし再会できたら「人間らしい夫婦をしたな」と、肩の一つも叩いてやりたいような気分です。
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